エロ本編集者としての初現場の朝を迎えた日のこと|岡本タブー郎

エロ本編集者としての初現場の朝を迎えた日のこと|岡本タブー郎

エロ本なんて今誰が定期購入してるの?

 

みなさんは、エロ本編集者がどんな仕事をするのかということを考えたことがあるでしょうか。たぶん、誰も興味がないのではないでしょうか。2018年現在、エロ本を買っている人なんてほぼいないでしょうし(笑)、エロ本編集部に元いた私自身でさえ非効率なあの作業を考えただけで、嫌悪感にも似た気持ちを抱きます。

それほど、エロ本が所属する出版業というものが死に体となっているわけですし、エロいものが必要な人はスマホを叩けば無料で瞬時に出てくる時代に、まったく抗えていないわけです。若かりし頃にオナニーしたい「はち切れんばかり」の気持ちを抑えて、自転車でエロ本を買いに行く……こんな行為を今の中学生に話したとしても、私が中学生の時に聞いた「昔の子どもはシラミがいてみんな粉の薬を頭からかけられた」とか「脱脂粉乳が不味くて不味くて」という戦後の話に聞こえるのではないかと思っています。

しかし、シラミや脱脂粉乳と少し違うのは、エロ本はまだかろうじて世の中に存在しているという点です。今後は通販ぐらいでしか買えなくなるでしょうが、まだコンビニで扱っているということは、それを楽しみにしている若い世代も0.01%くらいは存在しているかもしれません。私が若い頃にエロ本の記事を作りたい、と憧れたように、今でも「エロ本編集者になりたい」と思っている奇特な子がいるかもしれません。だとしたら歴史が終わってしまう前に、エロ本のお仕事とはこうだよ~というものを残しておこうと思いました。

そんなわけで、私がどうやってエロ本編集者になっていったのかを、まずはメルマガ購読して頂いたみなさまへ好き放題、全て実名で書いてみました。今日、同じものをブログにもアップしますが、登場人物の名前は伏せますし、細かいディティールも修正しています。詳しく読みたい方はメルマガを取ってくださいね。

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憧れのミリオン出版に入ったものの……

 

9.11があったちょっと前、5月7日、私は行きたかった別冊GON!編集部には入れず、あまりよく知らない『URECCO』というグラビア雑誌に配属されました。その年、ミリオン出版は当時モーニング娘。だった矢口真里のアイコラを出した雑誌があり、それが音事協に訴えられ社長が緊急逮捕、20日間の拘束のあとガリガリに痩せた平田社長が帰ってきたという事件が1月にあったばかりでした。そんな悪徳で下世話な会社に、流通業界から転職できたことに私はワクワクしていました。きっとこの先、人生に面白いことばかりが起こる、と。

4月、URECCOはそれまで編集長を努めた方がアクアハウスという写真集を出す部門に移籍したため、それまで副編だった大島さん(当時31歳)が大抜擢で編集長になりました。当時のURECCOはけっこう上が詰まっていたので、若い大島さんが歴史ある雑誌(創刊は1986年だとか)を牽引することは画期的だったそうです。私が入る直前に、大島編集長によるURECCO第一号が出版され、その時の表紙は小池栄子さんでした。

「あ”あ”、イエローキャブの野田社長がさ『ご祝儀だよ』と言って小池を出してくれたんだよ!」

大島さんは当時を振り返って語ってくれました。でも大島さんは忘れています。次号(私にとっての初号)では、まったく無名のMEGUMIさんを小池栄子のバーターとして無理やり表紙にされているのです。

MEGUMIさんは、今でもよく覚えていますが、フジテレビの前の人工浜辺で水着撮影しました。「あたしフジテレビ入ったことないんすよ!」と言っていました。私が「またまた~そのうち嫌って言うほど行くんでしょうに」と返した言葉は今では虚しいくらいです。

「おい、明日巻末ヌード撮影な。世田谷のスタジオだから地図見とけよ」

いよいよ、初めてのエロ撮影の日がやって来ました。何をするのか全く分かりませんが、とにかく私のやることは行きと帰りの「運転」がメインです。実はお恥ずかしながら、ずっとバイクに乗っていた私は、この日まで車を運転したことがありませんでした。東京に来て、初めて運転する車が、なんとかなり大きめの、ハイエースでした……。

「あ”あ”! 大丈夫、大丈夫、次の四ッ谷駅をまっすぐ」

大島さんはハメ撮りを専門としているだけあって、人にものを教えるのが上手な人でした。両手でガッチガチにハンドルを握る私に助手席から「焦らない程度」のアドバイスをくれました。

「あ”あ”! ここがたけしが事故った場所だぞ」
「あ”あ”! 次は神宮球場のそばをまわるぞ」
「あ”あ”! 千駄ヶ谷抜けて明治通りに出るぞ」

当時会社があった市ヶ谷から渋谷までの道を教えてもらいます。何度も言いますが、私はこの時が生まれて初めて車を運転したのです。よく、最後まで私に運転させたよな~と思います。信用してくれた大島さんに感謝しかありません。あの時の私にできることは、とにかく一度通った道は絶対に忘れないという特技を発揮すること、くらいでした。

AV撮影の待ち合わせのメッカと言えば、新宿スバルビル前というのがありますが、実は渋谷ユーハイム前も有名でした。いま、明治通りにユーハイムって無くなりましたよね。この日、私が初めて生のオ○ンコを拝ませてもらう女優さんは、O・Aという方でした。確かバスト100センチという爆乳で、畑で鳩を脅かす風船みたいな大きな乳輪が特徴的な女性でした。貧乳フェチの私でさえ、あのおっぱいは印象的で、お会いできるのを楽しみにしていました。

で、渋谷に行く前に、ハイエースを竹下通りに突っ込め!と大島さんが言います。初めてだっちゅーのに、私は汗だくになりながら恐る恐る激狭の竹下通りにハンドルを切り込みます。

この通りのど真ん中に、小野麻早さんというカメラマンが住んでいました。URECCO編集部では、小野さんの撮影の時は必ずこうして朝お迎えに上がるのです。なんと言ってもカメラマンあってのグラビア誌です。当時、エロ本の頂点にいたのはカメラマンと言って間違いないでしょう。編集者はカメラマンに対して常にかしづいていました。デラべっぴん、ザ・ベスト、スコラ、ペントハウスなど多くのエロ雑誌がひしめき合っていた時代、不思議なことに各誌をまたぐカメラマンはまだあまり存在せず、それぞれの雑誌がお抱えカメラマンを持っていた時代でした。当時のURECCOは稲村幸夫さんを筆頭に、浜田一喜(現ハマジム社長)さん、山口勝己さん、吉田裕之さん、広瀬健さんという方々で固められており、特に小野麻早さんは稲村さんが「先生」というほど大御所ですごい人でした。確か、常盤貴子がつねに指名するカメラマンで、なんだっけな、日本アカデミー賞かなんかを獲っているんですよ(カメラマンの話はまた今度します)。

しかし、小野さんは写真以外はクソみたいな人でした。

部屋は床が見えないほどのゴミ屋敷。いくら儲けても使ってしまって金が無い。服装はホームレスよりボロボロで、鼻毛は伸び、風呂にもろくに入らない人でした。もう完全なアーティストです。

「岡本、ゴミをどけたらカメラがあるはずだから」

小野さんの部屋から機材を運び出している最中、大島さんが言います。当の小野さんはヘラヘラして「うん、どかしてみて」と言っています。言われるがまま、部屋のゴミをどかしてみると、床からカメラやレンズが出てきました。

「これで……撮るのかよ……」

小野さんは「あった、あった、探してたのよ」と言い、レンズを口でフ~~と吹き、カメラに取り付けました。めちゃくちゃ適当です。機材管理がコンピューター並みの稲村さんとは180度違う人です。この人、大丈夫なのかな……そう思いながら原宿を出発したのでした。

 

今ではすっかり慣れてしまったメンヘラ女優

 

エロ本をやる前、AV女優に対して自分がどう思っていたかは、もう忘れてしまいました。

みなさんは彼女たちにどんな印象を持っていますか? 裸になれるんだから「すぐヤラせてくれるんだろ」なんて思っている人は実はけっこう多いんじゃないかなと思います。そんなわけないのは言わずもがなですが。

私自身は、きっと彼女たちはヤンキーがほとんどで、裸で稼ぐことを厭わない明るい人たちなのかな~くらいの印象しかなかったと思います。

ところが、ひとつ大きな点が抜けていました。

世の中にはメンがヘラってる女性というジャンルがあり、ヤンキーとはまた違ったベクトルでセックスをするメンヘラ女子のことをすっかり忘れていました。言い換えると、これまでメンヘラ女子被害者の会などと言うイベントをやってきた自分ですが、この時が初めてメンヘラをしっかりと意識した瞬間かもしれません。

O・Aという女優は、すこぶる暗い性格で、視線の定まらないメンヘラでした。

「おはようございます、どうぞ車へ!」

最初の挨拶の時、彼女は頭をちょっと下げるだけで、すぐにマネージャの後ろに隠れてしまうような子でした。それまで別ジャンルの業界で働いてきた自分にとって、挨拶をロクにしないなんて有り得ない行為でしたが、大島さんは意にも介さない様子でした。ほとんど会話を交わさないで車に乗る女優とマネージャ。裸の業界ってこんな感じなの? とショックを受けましたが、今なら当時の自分に言ってあげたいです。

「そんな業界だし、朝から舌打ちして来る女もいるし、それまだマシな方!」と。

まあ、AV業界の人にもいろいろ事情があるみたいで、徹底しているのは「他所の人と会話させない」ってことなんですよね。

ところが、それに反するように、新人エロ本編集者には「女優と喋る」という仕事があります。現場では、とにかく大島さんに「喋れ!」としつこく命令されていました。それは、なぜか。

太陽光がスタジオに降りそそぐ日中に撮影しなければならないエロ本の撮影は朝早くに集合します。そこから車でスタジオに移動し、メイク、着替え、撮影と入っていきますが、このメイクの時間中から女優さんと世間話をし、「顔を作っていく」という作業が重要になってきます。話をしているうちに身体も起きてきて、さあ撮りますよという瞬間に、いい感じの笑顔を引き出しておくのが編集者の仕事でした。

ですから、メイクさんやスタイリストさん、マネージャにはウザがられながらも、モデルさんに「アンケートです」とか言って無理矢理話しかけるのですが、私は入社して1年くらいはこの仕事が超苦手でした。

マネージャが見ているし、深くは聞いてはいけないし、かと言って朝からエロい話をしても女優さんも気持ち悪がります。まず、メイクさんやスタイリストさんに気に入ってもらわないと話も盛り上がりません。この日が初エロ現場の私にはとってはキツいものがありました。

しかも、O・Aはメンヘラです。「食べ物は何が好きなんですか?」にさえ「…食べません」とか答えてくるんです。「好きなタイプは?」にも「特に…」、「お休みの日は何をしてるの?」にも「お休みはありません…」とのこと。ほぼ、お手上げ状態でした。なんとか聞き出せたのは「バンギャをやってる」ということぐらいでした。

 

なんだか嫌味なギョーカイのパイセン

 

しばらくすると大島さんが、
「買い出しに行ってきて」
と言い、仮払い袋を渡されました。

近くのコンビニで飲み物やパンやお菓子を買ってこいということで、いわゆる撮影の合間の「つまみ」という意味合いでしたが、これが初日の私はよく分かっていませんでした。

昼飯もコンビニで賄うのか? 量はどれくらい? などをちゃんと聞かずにローソンまで来てしまったので、ええい少ないよりマシだ!と大4袋分くらい色々買ってきてしまったのです。

それを抱えながら現場に戻ってくると、

「大島くん! 君のオリジナル部下が目立とうと思って、大量に買ってきちゃったよ!」

と、スタイリストのXさんが言いました。彼はURECCOに古くから携わっているベテラン男性スタイリストで、めちゃくちゃ口が悪い人でした。オリジナル部下とは、大島さんがよく言っていた「岡本は人から譲られたわけではなく、俺が俺の意思で採用した部下だからオリジナル部下」という発言から来ています。

後年、Xさんには「うちの会社に来ないか?」と言われるほど認めてもらうことになるんですが、この時は何だか恐ろしい、そして決して好きではないギョーカイの先輩でした。なんかガリガリだし、目も釣り上がってるし、アッシュ系の髪にパーマかけてるし、顔は怖いし。

「すみません! 多かったですか!?」

謝罪する私。現場の流れが止まりました。大島さんも、小野さんも、素っ裸のO・Aも、全員がこちらを振り返りました。やばい…つまんないことで撮影の流れを止めてしまったのかもしれない……。大島さんは、

「昼飯は昼飯でまた出前取るから、その半分で充分だよ」

と言いましたが、Xさんが瞬時に、

「違うよ大島くん。彼、余ったら持って帰ろうとしてるんじゃない?」

と重ねたので現場に笑いがおきました。
その笑いに助けられ「てへへ」と言いながら、スタッフにドリンクを配り、また撮影が続行されました。

Xさんは休憩中に私の肩を抱き寄せ隅っこへ連れていき、「いいか? ああやってミスを笑いに変えればマイナスをプラスにできっからな?」と、さっきはお前を助けてやったんだぞというマウントを取ってきました。「あ、あざっす!」と私は言いましたが「この人苦手だな~」と思いました。

 

個人個人の能力が試された、あの時代

 

小野麻早カメラマンは、さすがにカメラを持つと別人になりました。さっきまでヘラヘラとただ笑っているだけの浮浪者でしたが、いざモデルを前にファインダーを覗き始めると「キリッ」とし始めました。

小野さんの撮影はアイランプという触ったら絶対にケロイドになるくらい高熱な光を当ててモデルを撮るスタイルで、その光を活かすためにスタッフがミラーを使って反射させる必要がありました。当然、その役目は私になってきます。

O・Aのすぐそばに立ち、ミラーを曲げて光を反射させ、彼女に光を当てます。100センチを超える巨大なおっぱいが2つ、重力にまけてダラリと垂れ、青白い血管が無数に行き交う紋様が見えています。スタジオは高温になり、O・Aもうっすらと汗をかいています。息遣いも聞こえる距離です。

「違う! 光、そこじゃない!」

小野さんが私というパーソナリティに初めて口をききました。

「その光、違う。もっと首筋に!」

みなさんは信じられないかもしれませんが、プロのエロ・カメラマンには光の動きというものが見えています。これが分からない人はいくら努力しても人物を撮る人にはなれないのです(なれても淘汰される)。

「こうですか?」

色々と角度を変えて小野さんに伺います。

「君さあ、O・Aちゃんのおっぱいに見とれてんじゃないよ!」

Xさんがまたツッコミを入れると、現場に笑いがおきました。そのおかげで小野さんも少し笑い、「オッケー、そこで光固定しといて」と撮影が続行されます。チラッとXさんを見ると、

「なっ?(おまえを助けたぞ)」

というドヤ顔をしており、私はとびっきりの「愛想笑い」を返したことを覚えています。

 

実は、小野さんが撮った写真集を私はミリオン出版に入る前からたくさん持っていました。中学生の時、沢田奈緒美というヌードだけをやるモデルさんが大好きで本屋でいろいろ物色していたのですが、この小野麻早という人が撮った写真だけが群を抜いていました。ですから、この名前だけを確かめて沢田奈緒美作品を買っていました(後年、その写真集をデザインした野田さんともお仕事ができてウンコ漏れるかと思うくらい嬉しかった)。大学生の時は藤崎奈々子。彼女が最も美しく撮影されていた写真のカメラマンもまた小野麻早さんでした。

暑さの中、ミラーの光をO・Aに当てながら、私は不思議な感覚に包まれていました。関西の片田舎で、花の都・大東京に死にたいくらい憧れていた私が、美しいモデルたちを撮りまくる売れっ子カメラマンの横で仕事をしている。ついちょっと前まで、アルバイトの子たちのスケジュールを調整して、棚卸しをして、在庫を管理する仕事をしていたのに、今日はもうおっぱいを放り出した女の子の横で汗だくで光を当てている自分。変わりたいと願い、行動すれば願いは叶う、日本という国はそこだけが優れているなあと思います。

 

その後、頑張ったんですが結局O・Aとはコミュニケーションがうまく取れず、けっこう落ち込みました。俺って人と話すことに向いてないのかなと悩んだりもしました。

しゃべらない女優
きったないカメラマン
おしゃべりなスタイリスト
オリジナル上司
ずっと携帯見てるマネージャ

撮影が終わると、また全員をハイエースに乗せ、モデル、マネージャ、スタッフを降ろしていき、最後はカメラマンと現像所に向かいます。2000年代なんて、まだまだフィルム撮影全盛期でしたからね。

「じゃあ、1から50までがプラス1/3で、残りはノーマルでいいよ」

大島さんは全てのフィルムに何が写っているかをメモをしており、それを確認しながら小野さんが現像の指示を出します。プラス1/3というのは増感のことで、今のデジカメにも付いている露出補正と同じ意味です。

この100本以上の現像が終わると、シグマラボさん(今はなき)が会社に出来上がったポジを運んできてくれます。その連絡を受け、こちらは竹下通りに小野さんを迎えに行き、前もって会社にお連れします。そこから数時間、全てのコマをライトボックスの上で確認していき、使いたいものに小野さんが「マル」を付けていきます。マルの付いたものを編集者がハサミで切り取り、一枚づつポジ袋に入れていきます。その「セレクト」と呼ばれるポジを元に、次は担当編集者が写真を並べグラビアを組んでいきます。さらに、そこに付けるタイトル、ポエムなんかを考え、編集長のOKが出たらデザイナーへ回します。デザイナーがレイアウトしたら、そこからデータをもらった業者から版下というものが上がってきます。版下には写真はなくタイトルと文字しかありません。そこに暗室でポジを版下に当ててトリミングして、指定を入れて、印刷所へ届けると、色校が上がってくるのですが、こういうアナログな無駄な作業は無形文化財と言えるほど博物館行きのシロモノです。二度とやりたくはありませんが、私は版下入稿の最期の世代と言えます。PCさえあれば、それで完結してしまう今の時代はスーパー未来だと思います。

 

こうして、大島さんのオリジナル部下として私のエロ本編集者時代がスタートしました。このあと、それはもういろんなことが起こるわけですが、それはまたゆっくりと書いていきたいと思います。

もし、若い方が、少しでもエロ本編集者に興味を持って頂けたら幸いです。

 

 

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