なぜ、買い占めをしてはいけないのか ~阪神大震災と東日本大震災で学んだはずの教訓~
- 2020.03.07
- Opinion
- コロナウイルス感染症, トイレットペーパー, マスク, 品薄

いくらデマに踊らされたとは言え、今回のコロナウイルス感染症騒動における「トイレットペーパーが入手困難」っていう状況は、酷すぎると思うんですよね。
マスクは分かりますよ、まだ。
でも、トイレットペーパーが無いっておかしいでしょ! 関係ないでしょうが。自分の近所の薬局が開店すると同時に大量の老人がなだれ込み、半ば暴動のように紙を奪い合っている姿を見ていると(動画も撮ってますがあえて出しません)、私の住んでいた地域はそういう地域だったのか……と、がっくり来ます。
買い占めはしてはいけないんです。
それはなぜか。
買い占めをした過去の自分に未来の自分が苦しめられるからです。
以下の文章は、先日3月1日に配信したメルマガの一部分です。あんまりに世の中がひどいので、ここだけ無料公開します。
阪神大震災の時に、17歳の少年だった人物が見た「あの日」の光景です。許可をもらったので、ここに再掲載します。
『阪神・淡路大震災・17歳の少年が見た光景』 文/平群千又
もうあの惨劇から25年の時が過ぎてしまった――。
1995年1月17日に神戸周辺を襲った巨大地震は6,434人の命を奪い、40,000名以上が負傷した。今はもうドラマで美談にされるほど遠い昔のことだ。しかし震災の真の姿はあまり語られてこなかった。当時17歳だった男が、本当の大震災をここに記す。
忌々しいあの記憶……
いま日本人が怯えている災害と言えば、地震という回答が一番多いだろう。“TVから伝わる映像のインパクト”が、他の災害よりも強烈でダイレクトということが言える。先日も、大阪で起きた地震の映像が生々しく伝えられた。
これまで、TV局では東北大震災や阪神淡路大震災のドラマやドキュメントが多く制作された。だが、そこに描かれていたストーリーは、当時そこで生活していた筆者にとっては、涙を流すことができるものではなかった。体験した人間を置き去りにした物語だったように思える。
あの時、17歳の高校生だった自分の記憶を、少しだけ目覚めさせよう。
街は地獄と化していた
1995年1月17日、午前5時46分。後に地震雲や動物の奇妙な動きなどが取り上げられたが、そんなことなど全く知らされていない人間達が、最悪の1日の夜明けを迎えることとなる。私の家は芦屋市の南側に位置するマンションの6階。ベット横の窓からは、六甲山麓を一望する部屋であった。
発生時、急激な揺れで目を覚ました私の視界に飛び込んだのは、いつもなら横一列に並んでいた阪神高速の灯り。それが点滅しながら崩れ、夜空を真っ黄色に染めた奇怪な光景。あの高速道路が600mに渡って倒壊した現場の近くである。
尋常じゃない揺れに大きく驚きながら(経験したことがなく今のが地震ということにすらピンときてなかった)私は部屋を飛び出した。そして無事だった家族の代表として、近所の公園に情報を仕入れに走ったのだった。
公園には地震直後なのに、大勢の人間が集まっており、頭から血を流している老人、泥まみれのパジャマを着て泣いている少年がいた。そこには“祟り”と喚く老婆も…。普段ならキチガイと遠ざけてしまうこの手の人間も、やたらとリアルに感じてしまう、それほど非日常な光景だった(当時、本州と淡路島を結ぶ明石大橋の建設が佳境に入っており、そこの海底に眠る神様を起こしたと話していた)。
死体…倒壊…強奪…
とりあえず食料を確保しなければいけないと、コンビニに向かう。道は倒壊した家屋で塞がれ、電線が歩いている人間の腰まで垂れ下がっている。過酷な道のりだった。後で知ったのだが、TVが全国に伝えた高速道路の映像は上空からだったそうで、しかし私が見ていたのは、倒壊した高速の下(43号線)を走っているトラックから飛び出た、腕や血しぶきの数々。それと好奇心から現場に近づこうとする子供達を懸命に制止する母親の姿だった。
そんな光景を横目にたどりついたコンビニには、パジャマ姿やスーツ姿の中年男が割れたガラスのドアの隙間から食べ物を盗み出していた。17歳の私が体力的にオヤジ達に負けているとは考えられなかったが、人々の目は完全にイッていたのだ。
奴らと食料を奪い合っていても、背負うものの小ささできっと負けていただろう。幸いにも、我が家は生活が出来るし家族も失っていない。仕事も家も不安定になった中年男とは、あまりにも状況が違い過ぎるのである。
家族へ詫びる言葉を探しながら家へと戻る。その途中にも横転したトラックから500mlのドリンクを盗み出している中年男が多数いた。その様子を聞いた父親は「そんな状態に入ったら怪我をするだけ」と何一つ食料を持って帰らなかった私を責めなかった。その日は電気も通じず、車のラジオを家族全員で聴きながら、他の町の惨状を耳に入れ続けた。
レイプされた子供たち
そんな“震災の日”から、1ヶ月で学校が再開され(クラスメイトは1人死亡、3人が家の倒壊、または家族の死亡により神戸を離れた)、2ヶ月を過ぎたある日、担任からこんな言葉が投げかけられた。
「いま被災地ではレイプが多発しているから、暗くなると表に出ないように」
住民が避難している影響で、ゴーストタウンと化した場所が多数あり、街灯も完全普及していないだけに、被災地の夜はとても怖かった。
しかし、高校生男子の耳にレイプという言葉はあまりにも刺激的。当然のようにクラスの男子は盛り上がった。一通り盛り上がりが沈静するタイミングで再び担任が口を開く。
「被害者の大半は男子なので、気をつけるように」
唖然……誰もが状況を飲み込めなかった。しかも真相はゲイが集まってくるからではない。あの日の早朝、コンビニを襲っていた中年男たちが、“怒りをぶつけるため”に性欲を若い男へと、ブチまけていたのだ。
人間は追い詰められ、理性を失うと、異常に性欲が高まる。しかし、若い女は警戒して夜の街を歩かない。その結果として、「肌の張り」という1点だけで、ノンケのオヤジが高校生男子を犯すのだ。聞けば、各地からボランティアで駆けつけた学生も多数被害にあっていたらしい。高校生の自分にとって、あの地震で感じたのは、見た目や大人だからという先入観は、出来事次第でいかにもろく崩れ落ちるかということだった。
私は被災者ではない
私と同じ年代に震災を経験した人間は、自分が被災者であるという認識は希薄だろうと思う。自分達より困っている人間が多数いる。本当の被災者は、亡くなった人間達であって、生きている自分達は生存者なんだ、幸せなんだと…。
いつか、神戸新聞を舞台にしたドラマが作られていたが(桜井翔主演)、私は感動しない。確かに神戸新聞を読んでいたし、情報は助かった。だけどそれは、それぞれが頑張って当然、耐えて当然の時間の中で、“当たり前のことをしただけ”なのだ。それは神戸新聞の人も同じ気持ちだと思う。
あくまで私のイメージだが、非常時とはいえ犯罪行為に身を染めた人間ほど、自分が被災者だとふれ回る。被災者が加害者になっていい論理など、どこにもない。生存者に被災者なんていない。地震はみんなの人生に組み込まれたイベントで、避けることの出来ない瞬間だったのだ。
視聴者を不安や恐怖に陥れるだけでなく、そう思って明るく生きている人間に、脚光を浴びせた番組を是非見てみたいものである。
まとめ
いかがだったでしょうか? 報道されていませんが、これが現実なのです。
あの東日本大震災の時も同じことが起きました。コンビニから食料がごっそり消えてしまった、あの光景、その後生まれてきた子どもたちにも伝えなければいけない事実です。辛ラーメンだけが売れ残った、何とも物悲しいコンビニの什器を、忘れたとは言わせませんよ。
私は、不幸中の幸いですが、知人が大量にトイレットペーパーを売っているお店を教えてくれて、左手を犠牲にせずに済みました。あと残り2ロールだったので、ギリでした。トイレットペーパーが無いって、ものすごいストレスでした。
買い占めは自分を苦しめます。
後に、物資が届けられ人々が安堵したとき、
あなたは罪の重さに苛まれるのです。
もし、あなたが転売屋だったら、この話は無駄になりますが。
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