モデルが人前で服を脱ぎ、ハダカをさらけ出し、笑顔を見せるまで

モデルが人前で服を脱ぎ、ハダカをさらけ出し、笑顔を見せるまで

自分で書いた原稿が不覚にもバズってしまい、少しだけ意図していたことと外れて解釈されているので、もう少し書いてみようと思います(別に人にどう思われようが構いませんが)。

アラーキーのモデルだったKaoRiさんが「勝手に裸を撮られた」と告発した件|岡本タブー郎
http://tablo.jp/serialization/taboo/news003118.html

この原稿で言いたかったことは単純に「以前はけっこうこんな感じでしたよ」ということ。そしてさらに現状を取材すると「しかし今はそうでもない状況なんですよ」ということを知って頂けたらと思い、KaoRiさんの件を取っ掛かりにして書かせて頂きました。

私がKaoRiさんの告発に対して批判的であるかのように捉えられている節もありますが、とんでもない、「よく言ってくれました」と思っていますよ。彼女が書いていることに嘘はないと思いますから。

 

エロ本やグラビアの撮影って、なんかこう、モデルをハレモノに触るみたいに接しないといけない空気があって、私個人としては決して「いっしょに作品を作っている」という感覚はありませんでした。

モデルさんは事務所が何とか口説いてここに連れてきている人という大前提があって、現場でも名刺交換はしませんし、聞いてはいけないこと、書いてはいけないことという制約がありました。

中には撮影にとても積極的に参加してくれるモデルさんもいますが、基本的には撮る側と撮られる側には一線が引かれていて、特殊な緊張感が存在していました。

当時は、帰属をはっきりさせること、そうすることによって裸が撮影できるわけで必要なことだと考えていましたが、現場を離れてある程度冷静に思い返すと帰属ではなく「独占」であり、モデルさんは撮影の現場ではある意味「人間ではない」側面があったのだと思っています。

 

私は下っ端の頃、スタッフ全員を乗せたでっかいハイエースの運転と昼食や軽食の用意、レフ板を持ってフィルムを巻いて現像まで出す役目と、「ずっとモデルと喋る」という仕事を仰せつかっていました。

これは、早朝から始まる撮影のため、モデルさんと無理矢理にでも会話をすることによって目を覚まさせ、早い時間帯に笑顔を引き出すための大事な仕事だと教えられました。

どれだけ不機嫌な女優であろうと、どれだけ鬱陶しいという顔をされても、心では泣きそうになりながら「傍若無人なAD」のように振る舞いモデルさんに質問を浴びせた日々、今思い返しても非常にしんどい仕事でした。

グラビアアイドルは芸能人という意識が多少あるので、あきらかに機嫌が悪いという素振りは見せませんが、AV女優は違います。ビデオカメラも回ってねえのになんでコイツは話しかけてくるんだって顔をしますし、舌打ちをされたことも何回もあります。それでもメイクが終わって、衣装を着て、「さぁ始めます」となった時点で「顔が出来て」いなければ撮影が成立しないため、毎回鈍痛のようなストレスを胃に感じながら話しかけまくりました。

できれば二度とやりたくないです(笑)。

ただ、機嫌の悪い子ばかりではありません。中には話が合ったり趣味が同じだったりするモデルさんもいます。そうなると話が盛り上がり、現場のスタッフを巻き込んで和気あいあいな雰囲気が出来上がります。こうなればモデルさんの表情やポージングも変わってくるので、狙っていた写真が撮れたりするんですね。

ここでもっと笑顔がほしい。
その時、私はカメラマンに向かって、

「先生、彼女、元ヤンらしいですよ」

と、メイク室で話して入手した情報を現場で大きな声で言います。するとカメラマンは、

「なにぃ〜〜〜!? 君そうなの!」

モデルさんは、

「違いますよ〜! ちょっとグレてただけです(笑)」

などと言い、笑顔を引き出せます。
また別のシーンでは、

「じゃあ、グレてた時のことを思い出して、今度は強い目線で行こうか」

などと応用することが出来ます。
朝から喋って引き出した情報を場面場面で利用していくわけです。撮影スタッフってボ〜っと見ているだけのように見えると思うのですが、実はこういう軽薄な会話をすることによって「笑顔を撮りたい」「悲しい顔を撮りたい」「アンニュイが撮りたい」といった目的を達成しようとしています。
テレビなどの撮影シーンでカメラマンは「いいよ〜、はい、いいよ〜」しか言ってませんが、その「いいよ〜」が出るまで朝から色んなスタッフが苦労しているわけです。

 

モデルさんにはこの視点があるでしょうか。

 

おそらく誰もが「そんなことせんでも笑えるわい」とおっしゃるでしょうね。だけど、やはり「体調の悪さ」や「昨夜あった別れ話」や「寝不足」というのは隠し切れない人もいます。これを現場の決められた時間内で対処するには、カメラマンの撮影技術も当然必要ですが、現場スタッフの能力というものも絶対的に必要となってきます。チームプレーなんですよね。

ただ、先にも書きましたが、そこにはモデルを含めた仲間、達成感というものはありません。「よっしゃ、今日はトラブルなく欲しい画が撮れた」という達成感はありますが、モデルが写真を見て「ここ、もう少しこう」とか「こういうのはどうか?」などと言うことはほぼありませんし(言う人もいますがウザがられるのがオチ)、カメラマンや編集者が「じゃあ、後日、こういうのどう?」とか「再度打ち合わせしよう」なんてことはほぼ無いでしょうね。

撮影は一期一会、その日その時間内で何を撮るかが全ての人の評価になります(もちろん、事前にどんなグラビアにするかはスタッフ同士で打ち合わせしています)。ですから、朝からのスタートダッシュが肝になってくるわけですね。
その日限りのチームは夕方に解散。カメラマンはその後写真をセレクトする仕事へ向かい、編集者は会社へ帰り撮影内容を報告しグラビアを組む準備、モデルはマネージャーと共に帰り明日の撮影に備えます。メイクさん、スタイリストさんも同様。つまり、各々がそれぞれの能力を独占するがために生まれたシステムなわけです。

もし、このシステムが確立されていなかったら、モデルさんと企画を揉むことから始まります。モデルがやりたいことを取り上げて、モデルがやりやすいスタッフを使わなければならない。
テレビに置き換えてみてください。
そんなことしてたら時間もお金もいくらあっても足りなくなってきます。芸人さんや俳優さんには「撮影の場」というのが与えられ、そこで何とかしてくれというのが現状だと思います。裸を撮る現場のモデルさんも同じです。ですから、撮る側と撮られる側(演者)との間には、ある一定の緊張感が敷かれているのです。

そして、フリーランスの場合、この場合はモデルでの話をしますが、これら一連のことを一人で何とかしなければなりません。
撮影のスケジュール管理、ギャラのやり取り、現場までの移動、体調管理、モデルとしてのスキル等々、恐ろしいほどに忙しく、要求されることは膨大です。
「中抜き」をされないことがメリットではありますが、その分、のしかかってくるものが多すぎるのです。

そのどちらにも当てはまらないのがKaoRiさんです。彼女は荒木経惟という写真家の専属モデルでした。

“わたしは2001年から2016年まで荒木氏のモデルを務めていました。その間、私たちの関係は、完全に写真家とモデルで、恋人関係ではありませんでした。家に行ったこともなく、彼の私生活を壊そうとしたこともありません。”

という記述の通り、ゆうに15年もの間、違和感を感じながらも裸を撮られていたということになります。

“スタジオではダンスやヌードや着物姿で、一緒にいるときには、ご飯を食べたり寝たりお風呂に入ったり絵を描いたり、、、どんな瞬間も逃さず撮られるようになりました。”

“今なら、それほどの人に契約書がないのはおかしいと思えるのだけど、まだまだ若く甘すぎた。それで、どんどん仲が深まって、言い出せない関係にまで発展してしまったのが最大の過ちでした。忖度して自分を犠牲にし過ぎてしまった。”

と、ご自分のことを反省されています。

“その度に改善を求めましたが「知らない」「忘れた」「言ってない」「俺は関係ない」「編集者が勝手に書いた」「携帯もパソコンもないから知らない。見るのが悪い。気にするのが悪い。」と逃げられて、壊れた私生活と一人ぼっちで向かい合わねばなりませんでした。昔、奥様にして許されていたことを、責任も取るつもりもない私に押し付けられているようにも感じていました。”

荒木さんが何を撮りたかったのか、KaoRiさんに何を求めていたのかは、なんとな〜〜く、うっすらと分かるような気がします。ただ、どのようにそれを表現しても決して良いことではないので、ここでは書かないことにしておきます。

もう、これ、二人の間に起こったトラブルでしかないと私は感じるんですね。

前半に私が書いた話や、ハダカ業界が悪いという問題やMetooとは少し違う場所にある問題ではないかという気がしています。水原希子が言っていることも正直私にはチンプンカンプンです。

アートの世界で起こったトラブルです。

この告発文を読んだ人たちが脊髄反射的に「これだから裸業界の奴らは!」「AVは排除せよ!」となり兼ねないなあという危機感を私は憶えました。

AVやエロ本というのは「ヌケる」ものを提供するために日夜努力をしアイデアを絞り試行錯誤を繰り返しています。その努力は一般社会では決して褒められたものではないかもしれないけれど、日々更新されており、現在では女性の人権も守ろうという新しい動きにも繋がっています。

KaoRiさんの告発に、みんなダンマリだ!
唯一反応した水原希子は勇気がある!

という声もありますが、いやちょっと待ってよ。有名写真家の専属モデルをやってる人がまず少ないし、ちょっと毛色が違うじゃんと考える人が多いからこそ、みなさん反応が出来ないんじゃないでしょうか。

 

前述したように、プロダクションに入っているモデルさんでさえ、距離があります。ことカメラマン専属のモデル、それも「アラーキーのミューズ」ともなれば、現場のスタッフや編集者が彼女と個人的に仲良くなろうとすることは、ほぼ考えられません。

つまり、彼女は本当の意味で、孤独だったんだと思います。

“そうして、2016年の6月に私はすでに予定されていた撮影も打ち切られ”ミューズ役”を突然クビにされました。もう消えてくれということでした。”

彼女は最後の最後までアラーキーの言うがままでした。自分から辞めたのではなく、クビになったのです。

私なんぞが偉そうなことを書くのは憚られるのですが、彼女には今後、過去の自分を否定しながら新たな被害者が出ないために、もっと声を上げて欲しいと思います。

今もなお、自分の意見を言えずに裸になっている人は多いと思います。

また、誤解を恐れずに言えば、撮る側がそういう人を探しているのも事実です。

それが正しいのかどうか分かりませんが、モノ言うモデルを確立させるために、尽力して頂きたいなと思っています。

特に、KaoRiさんのケースは、日本で初めての告発になるでしょうから。

私が何度か取材した、所属事務所の社長に犯された、力のある人に抱かれたという事件とは異なった、新しいパターンを彼女から学ぶことができました。

 

余談ですが、
私は写真をアートと思って仕事をしたことがありません。写真は今を切り取るものだとか、時代を写すナントカっていう考え方があまり好きではないからです。いつも「そうかなあ?」と思っています。

写真家は自分で構図を決められます。
ファインダーの中に都合の悪いものが入らないように、それらを排除することが容易にできます。
この時点でエンタメだと思うんですね。

見たいものだけを写して、見せているんです。

その裏側にいるスタッフや機材、あるいは遠くにある電線や家は排除されています。写真にあるメインを、よく見せるようにです。

私の好きなカメラマンに、ジェームズ・ナクトウェイという戦場カメラマンがいます。元々は報道畑の人で、ロバート・キャパ賞を何度も受賞しています。

http://www.jamesnachtwey.com/

私なりの解釈ですが、彼の写真はまさに「フレームによって作られた世界」という画であり、戦場の写真であってもその意図的な構図によってエンターテイメント感が生まれているんです。
何を入れ、何を排除するかが考えられた写真、戦争の現場でそんなことをする視点があるのがすごいことだと思いますが、これによって彼の写真に心が止まらざるをえないのです。
報道写真をエンタメにしたナクトウェイはまさに「写真家」です。
白黒の戦争写真なんて全然好きじゃないけど、ナクトウェイなら見たいなと思わせてくれるのです。
これって、撮り手に絶対的必要なことだと思いませんか。

ダイアン・アーバスも好きなカメラマンです。

ファッション誌畑のカメラマンですが、肉体的精神的な障害者たちを撮りためた「フリークス」(洋題はググってね)は衝撃的でした。彼女がモデルとなった障害者たちを撮れたのは、きっとお互いの距離を縮めるための努力があったからこそであり、物珍しさだけで近付いても撮れないものばかりです。
最後は自殺してしまいますが……。

ダイアン・アーバスもアートと思って見たことはないし、かといってドキュメンタリーとしても捉えていません。写真はドキュメンタリーから最も遠いジャンルだと思いますし。これぞエンターテイメントだと私なんかは解釈しています。

 

話がズレ過ぎましたが、
元来そんな要素がないのに、写真に「アート」だの「ドキュメンタリー」だのと無理矢理な区分けを作ったのが、そもそもの間違いだと私は思います。

写真は遊園地と同じく、
エンターテイメントなのではないでしょうか。
エンタメが時間を経て「記録」となっただけです。

そのエンタメで人々を楽しませるために、裏側にあるゴタゴタが表に出てきたら楽しさが半減するから、ちゃんとしてねー! ということが言いたかっただけなのに、長くなってすまんこ。

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