なぜスーパーカブを中国で造ってはいけないのか

なぜスーパーカブを中国で造ってはいけないのか

スーパーカブがついに日本製に戻るようです。

 

 

私は20代中盤、もうこれ以上遅くなると東京とか言ってられなくなるよ、という時期に憧れていた花の都・大東京にムーンライトながらという夜行普通列車で関西から上京して来ました。

その時の所持金は30万円。仕事を辞め、何もかも売りさばき、一路東京を目指す私の全財産でした。

 

ところが職も金もない私に立ちはだかった問題は「貸してくれる部屋がない」ということでした。現在みたいに保証人不要という物件はまだまだ少なくて、働いてない奴に貸すような部屋は無いと言われました。そればかりか、

「無職は半地下!」

と、池袋のダイコウとか言う不動産屋の若い男に断言されました。新目白通りを環七から高田馬場へ向かうところに大きな坂がありますが、その坂の途中にある半地下のアパートなら貸せると言われ見に行きましたが、新目白通りの凄まじい交通量による騒音がすごく意気消沈しました。不動産屋は「借りるの? どうすんの?」と責め続けて来ます。私はとうとうブチ切れ、

 

「てめえ、口が臭いんだよ! 殺すぞ!!!!」

 

と、西武新宿線中井駅前でそいつの胸ぐらを掴み怒鳴り散らしました。コーヒーとタバコのせいか、そいつの口臭は半端無く、ずっとイライラしていたのもありましたが、池袋から中井まで電車賃を払わされたことに怒りの限界を超えてしまい、なおかつ口の聞き方が最悪でしたからブチ切れてしまったのです。どうせ無職です。捕まったって何の問題もありません。やってしまおうかと思ったのですが、

 

「あわわわ、ごめんなさい、ごめんなさい!(泣)」

 

と男が泣いて詫びるので「クソが!」とだけ言い、その場を去りました。その後、私はどうしてそうなったのか記憶が無いんですが、渋谷駅のコンコースのど真ん中で大声を出して泣いていたんですよね。

確かに連日連夜不動産屋を廻り、どこに行っても「ない!」と言われ、疲れ切っていたというのもあります。泊めて頂いてお世話になっていたレコード会社バルコニー社長の守屋さんにも申し訳ないし、とてつもなく焦っていたんだと思います。なぜかフラフラと渋谷へ行き、「助けてください!」と言ったか言わないかは覚えてないけど、泣いてしまっていたんですよね。

で、泣きながらふと思い出しました。

そういえば大学の先輩の清水さんは新宿でやってる大不動産屋の御曹司だったってことを。私はすぐに関西デジタルホンの携帯をポケットから出し、清水先輩に電話をかけました。

 

「すぐ、新宿に来い」

 

山手線に乗り急いで新宿へ戻ります。先輩は元空手部で巨大な人でした。大学の時に部活でキャンプに行った時、女の子とばかり話してバーベキューを手伝わない私にキレた先輩は、当時60キロくらいだった私を片手で持ち上げ海へ放り投げたことがあります。さらに海からあがってきた私をでっかい鉄の栓抜きで殴りました。とにかく恐ろしい先輩でしたが、背に腹は代えられまえん。渋谷駅で泣くよりはマシだと私は考えました。

「おう、来たか」

先輩はお父様が始めたでっかい不動産会社の専務となっていました。そして、なぜか社内で竹刀を持っていました。

「オラァァァ、おまえら集まれ!!!!」

いきなり社員に号令をかけます。まるで北朝鮮兵士のように先輩の部下たちは綺麗に整列して集まりました。

「こいつはなあ、俺の後輩だ! 今からこいつのために敷金礼金のいらねえ部屋を探せ! かかれーーーっ!!!!」

 

イエーーーーーッサーーーーーー!!!!!!!!!

 

社員たちは我先にと自分の机に戻っていきパソコンを叩き始めました。

社員A
「専務、小竹向原に6万円敷礼なしのワンルームあります!」
先輩
「おう、岡本どうだ?」

「そこ…嫌です、先輩…」
先輩
「次だバカヤロー! 違う場所を探せ!」

 

イエーーーーーッサーーーーーー!!!!!!!!!

 

社員B
「専務、西日暮里でしたら4万円台で!」
先輩
「西日暮里は?」

「あっち側嫌です……」
先輩
「バカヤロー! あっちは嫌だって言ってるだろ!」

 

イエーーーーーッサーーーーーー!!!!!!!!!

 

こんな空気の中で30分くらいしたら先輩も疲れたのか、部下Cが出してきた東小金井徒歩17分5万円ロフト付きにしろと言ってきました。ちょっと嫌だな〜って素振りを見せると、

「てめえ殺すぞ!」

とさすがに先輩の怒りがこっちに来そうだったので、「はい、そうします!」と答えてしまいました。敷礼なし、築7年ほどですこぶる綺麗でしたが、駅までめちゃくちゃ遠く、多磨霊園に近い物件でした。

「大家が下に住んでるけど、昼間は働いているって言っとく。バレんじゃねえぞ!」

その日は先輩の豪邸に泊めてもらいました。見たことのない間取りでした。13LDKってこの世に存在するんですね。家族で綺麗な洋服を着て食事です。召使にワインを注がせながら先輩は「父さん、こいつ無職なんだって」と酒の肴にされました。「そうかい仕事が無いのかい。わはは!」とお父様。可哀想にと言ってその場で私に2万円をくれました。その2万円を突き返すことが出来ず、先輩んちの総檜風呂の中で声を殺して泣いたことを覚えています。

 

 

ボストンバッグひとつで東小金井のアパートに住むことになりました。

 

 

昼間は働いているテイですから、息を殺してじっとしていました。部屋は2階建ての2階。1階は大家であるおばあさんが独りで暮らしていました。私は京都の美味しい和菓子を買っていきご挨拶をしました。そのことがすごく感動したそうで「若いのにこんないいお菓子を持って挨拶なんて素晴らしい」と言ってくれて、よく食事なども振る舞ってくださいました。ある日、次の休みに近所の会合に顔を出さないかと言ってきました。町内会か何かですか? と尋ねると、創価学会の集会だと宣いました。

 

昼間はやはりじっとして暮らすことになりました。

 

おばあさんは部屋に私がいることが分かるとすぐにノックして来ました。おかずを持ってきたりして部屋に入ろうとします……キャミソール姿で。何となく何を求められているかは分かっていたし、そうすれば何かしら楽になったんだろうけど、私は若手俳優ほど貞操が緩くないので(当時はね)、やはり昼間はじっとしていました。

で、夜になるとムクリと起きて外へ出ます。

あの頃は確か2月くらいだったかな。毎日寒い中を歩きに歩きました。わしゃ西遊記か!ってくらい不毛の土地・武蔵野平野をただただ漫然と歩いていたのです。夜中に一人歩くのは本当に寂しかった。だからその時、考えたんです。

 

 

あかん……バイク買おう。

 

 

関西で売っぱらってしまったスーパーカブを東京で買い直そうと思いました。30万円しか財産がないのに。東小金井に住んでいる人なら誰でも知っていると思いますが、五日市街道沿いのカッコいいバイク屋で9万円のカブを買いました。スーパーカブデラックス90cc、97年製、メーターは12,000キロくらいでした。

 

こいつ『スタッチューオブリバティ2号』を買って生活は劇的に変わりました。西荻に住んでいる友人の田村の部屋にもすぐに行けるし、亜細亜大学近くの油そば屋にも簡単に行けます。本棚くらいだったら括りつけて帰ってこられます。私の東京生活はカブとともに動き始めました。

 

そして東京中を周りました。
奥多摩から八王子、町田、稲城、三鷹台、清瀬に東久留米、五反野や北千住、ありとあらゆる路地を覚えようと毎日カブを走らせました。この時の経験が後のゲリラ撮影を行う際の『土地勘』として役立ったのです。

 

カブのすごい所は、
・いつでもキック一発でエンジン始動
・とにかく頑丈であんまし壊れない
・意外とスピードが出る
点でした。
私にとってカブのない生活は考えられませんでした。

 

 

ずいぶんと東京生活が長くなりました。

 

 

私は初めて「カフェカブミーティング」というものに参加しました。それはカブのオーナーだけが青山のホンダ本社前に集まるイベントで、青山一丁目がスーパーカブだらけになる年に一度11月のお祭のことです。もしかしたら見かけたことがある人もいますよね?

そのイベントへは事前予約が必要です。人気がありすぎて申し込みが殺到するので定員が設けられているんですね。

そして、受付番号を持って現地へ行くと、なんと赤ジュータンの上を歩かせてくれるのです。そしてカブと記念写真を撮ってもらい、景品が渡されます。自分のきったねー普段使いのカブが、あの綺麗な赤絨毯の上で主役になれる唯一の日なのです。さすがに初回は感動して泣きそうになりました。

この催し物は青山だけではなく、アンオフィシャルのものも含めて全国各地で開催されます。私も京都や九州へのカブミーティングに参加したことがあります。もちろん、カブで現地まで行くんですよ(笑)。

そのミーティングでは、様々なイベントがあり、中でもホンダの中の人を呼んでみんなで質問するタイムに人気があります。普段は聞けない会社の内部事情や、エンジンのことを詳しく聞ける時間なので、カブオーナーの『手練』たちがけっこうキツ目のクエスチョンを投げかけるんです。

そこで、何年も前から必ずあがる質問がこれです。

 

「なぜ、日本の宝であるスーパーカブを中国で造るのか!」

 

という質問というか詰問ですね。中には、

 

「反日の国でカブを造るとは何事だ!」

 

と激怒している人もいます。

 

そしてこの質問タイムですごいことが判明しました。誰かがこう質問したんですよ。「私のカブは60年代のものだが、今でも普通にエンジンはかかります。しかしホンダさんが今中国で造っているカブのエンジンは何年くらい持つんですか?」と。それに対する中の人の答えは想像を絶するものでした。

 

「我々の試算では……7年くらいかと……」

 

会場がざわつきました。私も聞き間違いかと思いました。な……7年? いくら中華製だからと言って、新車のカブは7年しか持たないの??? 質問者は興奮していました。

 

「7年しか持たないものを、あんたらは売っとるのか!」

 

いや、そら怒るでしかし。カブなんて頑丈で長く乗るものやんか。その1番のウリを捨ててまで海外生産にシフトするなんて、そりゃ本末転倒じゃあないか!

じゃあ、なんで、そんなに耐久性がないのか。

その答えも唖然とする答えでした。ものつくりって国民性が出るんですよ。安かろう悪かろうってものを雑に使うという楽しみを中国は我々に与えてくれたけど、そうであってはダメなものもあるってことを日本の会社は学んで欲しいですよ。バイクは中国で造っちゃいかんのです。

ホンダの中国工場では厳しい品質管理しているそうです。
ネジの締め方ひとつとっても丁寧に教えているそうです。

ところが、
中国には春節というものがありますよね。

国民全員が里帰りをするというアレです。
アレで工場の従業員はほとんど帰って行くそうですが、

春節明けにちゃんと戻ってくる人が半数もいない

と言うのです!!!!
で、その度にまたネジのトルクなどを新しい工員に教えていくので、春先に品質が落ちるって言うんですよ。だから、右側はどうやったって取れないくらいキツくねじられているのに、左側は手で回しても取れるくらいのユルユルって状態があると中の人が言うわけです。

 

 

は、はぁ〜〜〜〜〜???

ば、ばかなのかなぁ〜〜〜〜???

 

 

この時、会場の人は思ったでしょう。
「現行のカブぜったい買わね」
私も強くそう思いました。それどころか、
「中国製は買わない!」
と呪文のように心に深く刻まれました。
いくら評判の良いGN125※1だろうが何だろうが、
バイクに関しては中華製には絶対に手を出しませんでした。
だってネジが取れたら、命を落とすからね!

 

 

売り上げ、どうだったんですかねえ。
先ごろ、ホンダがカブの生産を国内に戻すと発表しました。
円安がうんぬんと経済学者は解説しています。
が、ことカブに関してはそんな問題じゃないんすよ。
カブはMade in JAPANの象徴なんですよ。
他のバイクは中国でもタイでもいいけど(実際そうだし)、
カブだけはそんなことしちゃダメなんですよ。
だからバイク乗りはホンダから心が離れてしまったんですよ。

 

やっと日本生産になりました。
しかも世界のトップ工場である熊本で。
ホンダの熊本工場なんて世界遺産ですよ。

 

私にとっても新車を買う候補が増えました。

 

倉庫で眠っている9万円のスーパーカブ90よ、
聞いてるか?

 

お前にも近々友達ができるかもしれないぞ。

 

二人とも、一生手放さないからな!

 

 

 

追記(2017年11月18日16時現在)

この記事を夢中で書いていたので、ちょっと配慮が足りていませんでした。
それは現行中華製カブに乗っている方々へ配慮です。
自分の愛車のことを悪く書かれたら嫌ですよね。

なので、ちょっと考えていました。

なぜあの時ホンダの中の人は「7年」という数字を持ち出したのか?
で、風呂でじっくり考えていたら、ジワジワと色々思い出してきたんです。
確か、ホンダの部品供給って生産終了から7年でしたよね。
それもあって「7年は見といてくださいね」っていう実に消極的な最小公倍数を
口にしたのではないかと思うんですね。
そんなような口ぶりでしたし、ホンダの中の人は「もたない」という単語は使ってません。
質問者が「何年もつんだ?」と聞いたことに答えたのみでした。
いずれにせよ、これは会場でマイクを通して発言した言葉です。
「もたない」とは言ってないにせよ、この人はさぞかし怒られたんじゃないかなあ。

ですから現行カブにお乗りの皆さん、
ちゃんと点検や整備さえしていれば7年目で壊れるってことはないと思います。
言葉が足らずにすみませんでした。

それからもうひとつ。

工場が熊本に戻ったからと言って100%日本製でないだろうことは
私も十分理解しています。わざわざ知らせてくれる人がいるんですが、
ちゃんと二流大学を出ていますので、それくらいの思慮深さはございます。

熊本工場での初期ロットは、
中国産の部品を使ったものだろうし、もしかしたら、
中国で組み立てたものを検品するだけかもしれません。

なので、信用できるものは次のモデルチェンジくらいなのかな。
私もその辺になったらクロスカブあたりを買おうと思います。
もしくは12Vのハンターカブを出してくれたらいいんだけど……。

 

 

 

※1 GN125
中国の大長江集団という会社がSUZUKIから技術提供を受けて作っているバイク。日本では99年まで日本製が作られていたロングセラーの125ccです。あくまでもライセンス契約製品みたいなので中国製のGN125はSUZUKIのお店では見てくれないという噂があります。

SUZUKIはオフィシャルでも中国製やインドネシア製のバイクを売っていますが、どれも質が高いです。海外工場の操縦に成功している例だと思うんですよね。

ちなみに私がスズキ車を好んで買うのは、どの年代のバイクを買っても「部品が出る」からです。7年しか部品を保管しないなんてホンダは尊敬できません。