エロ本編集者たちの9.11 〜あの日僕らは若かった〜

エロ本編集者たちの9.11 〜あの日僕らは若かった〜

私がミリオン出版に入社して、まず所属したのがURECCOというグラビア雑誌(エロ本)だったというのは、『BLACKザ・タブー復刊、あきらめました。』で少し触れました。今でも覚えていますが、入社日は2001年の5月7日でした。

当時、URECCO編集部は大島新編集長に交代したばかりで破竹の勢いがありました。不景気と言え、雑誌はまだまだ何十万部も売れており、今から考えるととても良い時代でした。忙しかったけど、毎晩デリバリーで食事を取ってくれるし、毎晩飲みに連れて行ってくれるし、タクシーに乗り放題でした。1冊を作るのに1千万近い金をかけていたんです。はっきり言って夢の中にいたんですよ。私も御多分にもれず、働いている時と寝ている時以外は誰彼問わずセックスばかりしていた記憶しかありません。とにかくイケイケドンドンでした。下半身が乾く暇がありませんでした。この頃に知り合った人は今の私と会う度に「真面目になったね〜」と嫌味ばかり言われます。

私には同期が3人います。

そんなURECCO編集部の隣には「URECCO gal」編集部がありました。伊藤編集長と新人2人という3人体勢でURECCOのギャル版の雑誌を作っていました。興味がある人はググッてみてください。gal編集部には中山カルタ(仮名)と須藤チェリ夫(仮名)、URECCO編集部には私とGLAY(仮名)が同時に入社しました。
私と同期に入ったGLAY(GLAYのTAKUROみたいな見た目だったのでみんなそう呼んでいました)は、単なるチャラ男でした。初日は朝の11時に出社して夜の10時位に大島さんが「帰っていいよ」と言いました。GLAYと市ヶ谷駅まで向かっている時に彼は「毎晩こんなに遅いんですかねえ……困るんですよね、他にやりたいこともあるし」と私に聞いてきました。とにかく働きたくて、本が作りたくてウズウズしていた私はGLAYの質問に「は!? おまえ向いてねえんじゃね?」とだけ答えました。結局、彼は入社から3日後に大島さんに辞表を提出しました。
どちらかというとgalは増刊の意味合いが強く、URECCOの方は本誌という位置付けです。一人減った編集部にgalから須藤チェリ夫が異動して来ました。須藤は専門学校を出たばかりでまだ二十歳くらいだったと記憶しています。童貞で世間知らずでどんなことに対しても無知でしたが、同期だったので大事にしました。私の方が年上だったんですが、毎晩中野のアパートまでバイクで送ってやったし、よく飲みに行って相談にも乗っていました。
しかし須藤は仕事の面でミスばかり犯していました。単体のAV女優に暴言を吐いてしまったり、車の運転が下手すぎるので副編集長の三橋さんが須藤の運転を横から見ていると“右足でアクセル、左足でブレーキを踏んでいる”ことを発見したり、締め切りがとことん守れなかったりという毎日でした。
極めつけは、「ただいま戻りました」と撮影から帰ってきた須藤が1時間ほど席に座っていたかと思うと、おもむろに大島さんの席へ行き「車をぶつけてしまいました」と言った時です。

 

大島「……は? お前だいぶ前に帰ってきて座ってたじゃん?」
須藤「はい、でも、ぶつけてしまったんです」
大島「どこでだよ!? ヾ(*`Д´*)」
須藤「先ほど駐車場で……バックで入れている時に隣の車に……」
大島「はぁ!? お前ふざけんな、おい岡本も来い!」

 

我々はすぐ近くの会社が借りている駐車場へ走りました。すると会社のハイエースがバックで隣のクラウンの運転席へ突っ込んでおり、どちらの車も片輪が浮き上がって「▲」の状態でした。

 

「てめ、なんで車が宙に浮いたまま1時間も放置してんだよ!!!!」

 

大島さんの声が市ヶ谷の夜空へ響き渡りました。
先日大島さんに会った時、この話をして二人で笑っていましたが、当時の現場では全く笑えなかったんです。私も「なんでコイツは車が宙に浮いている状態でサイドブレーキを引いて一度会社に帰ってきたんだろう」と、うなだれる須藤を見ながら思ったものです。その瞬間から、須藤は心の病気かもしれないと疑うようになりました。

我々同期が入社して3ヶ月位経った頃でしょうか。
須藤がまたおもむろに大島さんに言いました。

「大島さん、ボク身体は全く元気なんですけど、毎朝会社に行かなきゃって思うと起き上がれないんです。健康なのにおかしいなって」

大島さんは須藤をじっと見て言いました。

 

「須藤、それ健康じゃないよ」

 

須藤は色々面倒を見た私を残して会社を辞めました。病名は鬱でした。あの後、実家へ帰ったのか、まだ東京にいるのかは分かりません。

「高校時代、好きな女の子のパンティを盗んで毎晩一緒に寝ていました。でも、卒業と同時に、それ海に投げ捨てたんです。青春の思い出です」
と居酒屋で語っていた須藤。
今頃どうしているんだろう。

 

 

そういうわけで、URECCOとURECO galには新人が1人づつ残りました。私と中山カルタです。
カルタとは同じ関西出身ということもあって、よく飯を食ったし、家にも行ったし、局長が気持ち悪いと陰口を言ったり、私と同じ編集部の女性編集・鶴巻さんをいじったり、カルタの家でハメ撮りしたり、たまたま飲み屋にいた「真性包茎だ」という男の子を脱がせて思いっきり剥いてみたり、仕事が忙しい反動で感覚が鈍っていたように思いますが、いろんなことをやりました。カルタとやった悪行は吟味しないと捕まるので、また今度詳しく書くとしましょう。

で、2001年当時「セリクラ」っていうものが流行っていたんですよ。イメクラとかオナクラとかありますよね。ああいうのの一種ですが、女の子を競り落としてセックスするっていう違法風俗があったんです。テレクラみたいな個室にいると女の子がノックして全身を見せてくれます。5秒ほどでしょうか。気に入ったらフロントに電話して「いくらで連れ出したい」と伝えます。値段が一番高かった人の部屋に女の子は入ってきて、交渉してホテルへ行くというシステムでした。
この「セリクラ」を、カルタは伊藤編集長から盗撮して来いと言われたのです。まあ、盗撮なんてお手のものですから、カルタも気軽に出かけて行きました。

 

 

「面倒なことになっちゃいました、大島さん(笑)」

夕方5時頃でしょうか、伊藤編集長がニヤニヤしながらURECCO編集部に来ました。話を聞くと「カルタが拘束された」という内容でした。
カルタは生き方もムチャクチャなくせに変な正義感があります。この正義感が時にトラブルを起こしてしまうのですが、セリクラで競り勝って部屋に来た女の子に「実は取材で、お金あげるから写真撮らせてくれないかな?」と言ってしまったらしいのです。「あちゃ〜アホやなwww」と私も席で雑誌を読みながら笑っていました。
機転を利かせた女の子が運営にメールをしたそうで、バレてしまったということでした。よくあることです。どうにかして切り抜けて来るでしょう。

1時間ほど経ちました。

さっきから伊藤編集長に何度も電話がかかってきています。「うん、そうか、うん、わかった、なんとか、がんばれ」と言っています。カルタからでした。あいつがSOSを出してくるなんて珍しいなと思いました。大島編集長が「伊藤どうしたの?」と声をかけると伊藤編集長がこちらへやってきました。

 

「ヤクザ出てきましたわ」

 

これは後になってカルタから聞いた話ですが、女の子と二人きりで話していると突然黒服を着た男たちが部屋へ入ってきたそうです。そしてカメラなど持ち物を奪われ、猿ぐつわをはめられ、乱暴にどこかへ運ばれました。
目隠しをはずされると、そこは“柵のない”ビルの屋上だったそうです。彼は落ちるギリギリのところに座らされており、見上げると7人の黒服に囲まれていたのです。
「お前の名刺から身元は割れている。今ここで上司に電話しろ」
と言われてかけてきていたのです。カルタは必死に伊藤さんに助けを求めました。
「ビ、ビルの屋上にいます。伊藤さんどうしたらいいでしょう」
カルタが言うには男たちは完全にヤクザだったそうで、あれがヤクザじゃなかったら俺はもうシャブとか信じないと訳の分からないことを言っていました。
ヤクザは伊藤さんに人質を返す代わりに金銭を要求して来ました。伊藤さんはこう答えました。

「掲載しないんで。うちの人間返してください。金? 無理っしょ。じゃ」

本当にこれだけだったのを今でも印象的に覚えています。これで助かるんかなあ、あいつ。最初の電話からかれこれもう3時間以上帰ってこないんだけどなあ……そう思っている時でした。誰かが叫びました。

 

 

「あっ! テレビ!! 飛行機が!!!」

 

 

編集部に置いてあって常時着いていたAIWAのテレビが米国の貿易センタービルに旅客機が突っ込んで炎上している映像を映し出したのです!
悪夢の始まりでした。
その日は2001年9月11日でした。

 

「みんな仕事中止中止!」
「すごいことになってるよ!」
「おい、弁当たのめ! 飯食いながら見よう!」
「了解です。写楽でいいすか?」
「カルタの分、どうします?」
「奴江戸兵衛(やっこえどべえ)でも頼んどけ!」
「誰かビール買ってこい!」

 

それから空気は一変し、我々はテレビに釘付けでした。見ている間にもう一機の旅客機がビルに突っ込みました。当時はまだアナログ放送でしたが、あの画質の悪い映像で見るとすごく不気味だったんですよね。
さらに他の場所にも飛行機が落ちたとか速報が入り、我々もどよめきました。これから世界はとんでもないことになるんだろうなあって20代の私にも分かりました。
色んな編集部の人が集まってきて、URECCO編集部のテレビの前には人だかりができていました。「なんかすげえこと起きてんだってな」と比嘉さんもやって来ました。会社内はちょっとした祭り状態でした。

事件がなぜ起こったのかはっきりしません。テレビは鳥肌が立つような映像を何回も何回も繰り返しています。私もまったく仕事ができず、誰かと「ああでもない」「こうでもない」と話していました。みんな腕を組んで立ち、テレビを凝視していました。けっこうな長丁場でそろそろ終電ではないかという時間になってしまいました。トイレに行こうと後ろを振り返った時、人だかりの一番後ろに奴が立っていたのです。

 

 

「あ、カルタ………」

 

 

いつのまにか解放されたカルタが会社に戻ってきていました。奴は寂しそうな目で、テレビの前で騒いでいる人々を見つめていました。伊藤さんが驚いたように、

「カルタおかえり。大変だったな。こっちも大変でな……」

あたりが静まり返る中、カルタは無言で自分の席に向かいます。大島さんが、

「カルタ、奴江戸兵衛おまえに取っといたぞ。腹減ったろ、食べろ」

と机に弁当を置いてあげました。奴江戸兵衛はカルタが好きな弁当のメニューでした。静かに弁当を開け、カルタは奴江戸兵衛を食べ始めました。

みんな自分の席に戻って行きました。心配して待っててあげないといけない伊藤さんを始め、我々全員がお祭り騒ぎをしていたのですからバツが悪い。テレビを消して、全員が仕事をしはじめました。

 

「ガタンッッッ!!!!」

 

カルタが机を叩いて立ち上がりました。全員が「ビクッ」となり、恐る恐る振り返りますが、すでにカルタは給湯室の方へ走って行ってしまいました。ジャーーーーっと水を出す音と共に聞こえてきたのは、

 

 

「うううっっっっっ、うっうっうっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、うううううううううう………」

 

 

というカルタの泣き声でした。

10分ぐらい泣き続けて、泣きはらしたカルタは戻ってきて言いました。

「僕が柵のない“ビル”の屋上で7人の黒服に囲まれたことを面白おかしく話す予定だったのに、みんなが飛行機が突っ込んだ“ビル”に夢中だったので悔しくて、悔しくて……」

機嫌を伺うように伊藤さんが「おまえも高層ビルだったのか?」と聞きました。カルタはこの日最も攻撃的に言いました。

 

「5階建てですよっ!」

 

これが僕たちエロ本編集者の9.11でした。

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