若者に説教するオジサンはオジサン界隈でも嫌われていますよ

若者に説教するオジサンはオジサン界隈でも嫌われていますよ

私は祖父にとても影響を受けています

 

15年ほど前に糖尿病が原因で他界しましたが、今でも時々見えない爺ちゃんと夜中に会話することがあります。とにかく強くて、優しくて、男前な人でした。

盆や正月に人が集まると聞けば、水中銃を持って歩いて1分の海へ出かけ畳1枚分くらいのヒラメを採ってきたり、粗大ごみに捨ててあった自転車を拾ってきては新品同様に直して乗ったり(今はダメみたいですよコレ)、火事があれば出かけて行って消防隊のホースを持ったりする人でした。

決して威張らず、嘘はつかず、質素な暮らしをしていました。

爺ちゃんは戦争の話をほとんどしてくれないまま死んでしまいました。私ならまだしも、その息子や娘もほとんど聞かなかったと言います。
爺ちゃんは終戦をサイゴン(現在のベトナム国ホーチミン市)で迎えました。戦争がとにかく嫌いで退屈で逃げ出したかったらしく「暇じゃけえのお、ビルマやらカンボジアにおったけど、相撲ばっかり取っちょった」とは私に時々話してくれました。

爺ちゃんはどんな気持ちで孫である私を見つめていたのでしょう。きっと、死んでいった戦友や赤く炎に包まれるアジアの大地を思い出し、この子たちを戦争になんか行かせてたまるか! と空を睨んでいたんだと思います。爺ちゃんが私たちに戦争の話をほとんどしなかったのは、そういう強い思いがあったからです。そしてそれは、これを読んでいるあなたたちのお爺さんも同じだと私は思います。

そんなこともあって、私の生まれて初めての海外旅行はベトナムひとり旅でした。

当時カスタムにハマっていたスーパーカブの群れを見てみたい。なぜそんな未開の地へ行くのか? と訝しがる周囲の友人たちに、それが理由だと説明していました。でも本当は違ったんです。爺ちゃんが若い頃に過ごしたホーチミンを、一目見てみたい! そんな気持ちからベトナム旅行を選んだのです。

90年代後半のベトナムは本当にすごかった。ムチャクチャでした。怖かったです。毎日ヒリヒリして半月を過ごしました。だけど、どハマりしたんですよ。怖いけど面白い! 私はそれから今日まで2年おきくらいにベトナムへ通っています。若かった爺ちゃんの気配を探しに。

 

2002年に爺ちゃんが死んだ時、通夜の晩にみんながこんな話をしていました。
「若い頃は血気盛んでねえ。兵隊の時に上官が部下を殴るんが我慢できんやったみたいで、とうとうある日そん人の胸ぐらを掴んで地べたに張り倒したんて(笑)」
どこからか聞いてきた話を女たちが爺ちゃんの遺体の前で名残惜しそうに語り合っていました。
「え、それ、本当?」
私の質問に伯母さんたちは答えます。
「ええ〜本当よ。喧嘩っ早かったっちゃ若い頃は。大阪で会社をやりよった頃は、もっと愚連隊みたいやったらしいけ」
……めちゃめちゃショックでした。あの、ガンジーみたいに平和主義だった爺ちゃんが上官を殴る!? え、大阪で会社やってたの!? 愚連隊ってヤ◯ザのこと!? 他人ならいざ知らず、私は私の知らない爺ちゃんの姿を教えられ、なんだか説明できないものが胸にドヨ〜〜〜ンと滞留するのが分かりました。

人に歴史あり、とは言うけれど、この時ほど身に沁みたことはありません。爺ちゃんが「昔は悪かってのう」という話をしてくれたら子供だった私は喜んだでしょう。そんな悪い上官を殴って黙らせたボクの爺ちゃんはカッコいい! と友達に自慢したかもしれません。
でも、一切、そんな話は全くしなかったのです。

 

なぜおじさんは若者に自慢話をするのか

 

私が爺ちゃんに教わったことは、等身大で生きろということでした。見栄を張って欲張るな、着飾るな、分相応に人生を歩けということでした。ま、正直、実行できているとは思いません。ただ、この考え方を大切にはしています。

人間ですから間違ってしまうことだってあります。銀座で豪遊したいだとか、ブランド物を身にまといたいとか、いい女・いい男をはべらせたいだとか、そりゃ思うことだってあるでしょう。大切なのは豪遊している最中に「けどこれは今日だけだな」とどこかに覚めた自分がいることですよね。みなさんもそうではありませんか?

私なんて小市民ですから、コーチのカバンを初めて買って2時間ほど外に出たんですが、あまりにも自分に合っていないことが気になりすぎて帰宅したくらいです。カバンなんてAmazonで買える5千円くらいのものが性に合ってるんですよね。

 

しかし、覚めた自分がいない人がたまにいます。

 

たまに…ではないですね、しばしば目にします。若いころの武勇伝を語りたがるおじさんって本当にいるんです。漫画みたいに。

そしてひとしきり武勇伝を語ったあとは、
「俺らの頃に比べたら今の若いもんは根性がない!」
と言ってロールプレイング説教大会が始まるのですよ。

本当に勘弁してくれって思います。話を聞いてくれた若者にちゃんとお給金を払ってから帰って欲しいですよ。

私が若かった頃、こういう親父は敵だと思って生きてきました。

それは爺ちゃんの影響が多分にありました。格好悪いんですよ、いくら正論を言っていたとしても。戦争に行って地獄のような日々を送っていた人々が武勇伝を語らないのに、彼らが犠牲となってもたらされた平和の時代に生きているいい年こいたオッサンが何をとやかく若者に言うのですか?
逆でしょうよ。彼らから見たら、「そのあとお前らは不況を作ったけどな」と思ってるでしょうよ。威張るなんてもっての他、謝ってちょうどいいくらいです。

 

……なんか、こういう書き方をすると「タブー郎は若者の味方のふりをして悦に入ってる」などと言われそうなのでスタンスを明確にしておきますが、
私は「若い奴は何だかんだ言ったって大人が作ってきた街や道やビルや家で過ごしてんだからナマ言うんじゃねえ。ちったあ昔のことを勉強しろ。とりあえず年上だってことだけは忘れなんな」と思い、「しかしそうは言っても未熟なのが若者なんだから何も成してないオマエがああだこうだ言うんじゃねえ」と思っています。

 

それだけで良くないですか?

 

何を隠そう、ミリオン出版で私の上司だった人たちは全員こんなスタイルでした。私もそれがいいと思って踏襲しています。

「好きにやればいいじゃん。責任だけは取ってやるから」

私の上司になった人はほぼ全員がこの言葉を口にしました。怒られるのが上司の仕事と考えているんですよ。これは私が思うに、ミリオンイズムというか『比嘉イズム』なんですよね。天才編集者・比嘉さんが背中で部下たちに教えてきたことが脈々と受け継がれていたんです。だからミリオン出版はGON!を産み、URECCOを産み、ナックルズを産み、eggを産み、携帯バンディッツを産むことができたんです(最後のはギャグです)。

しかし実はこっちの方が自由そうに見えて厳しいんですけどね。ネチネチ嫌味は言われませんが、失敗した時はシビアに怒られます(笑)。

たぶん、私が最後に仕事をした人間じゃないかと思っているんですが、亡くなった作家の日名子暁さんもそんな方でした。生意気ばかり言う私の言葉にコーヒーを出してくれながら「ウンウン」と頷いているだけでした。
「お前が言うなら書くよ。でも売れなかったら意味ねえぞ」
あれはプレッシャーだったなあ〜〜。

 

なので思うんですよ。

説教するなら責任取ってやんなよ、って。それもできてないのに自分のうまく行かなかった人生をうらやむように酒を煽り、口角を尖らせながら、若者を肴にするんじゃない、と。おまえの若い頃の武勇伝はどーでもいいから“言わない美学”を学んだらどうだ、と。

嗚呼、なんだか私がオジサンを説教しているみたいになってきたな。

 

では最後に若者へ。

 

おまえらもおまえらで、
何者にもなっていないオジサンに何か言われたからって、
いちいち凹むな!

そいつは、
ただのオジサンだ!

 

 

ちなみに、ベトナムから帰って私が見せるホーチミンのたくさんの写真を見て、爺ちゃんは懐かしがる気配さえ見せませんでした。

「そうかぁ。サイゴンは今こんななっとるんかぁ」

と言っただけでした。

 

今考えるに………う〜ん、それは飛躍しすぎかもだけど、

 

私が撮り下ろした写真に戦争の面影がふんだんに映っていたからかもしれません。

 

人力車の仕事しかない元軍人
行方不明者待つ人だらけの空港
笑顔のない人々
劣悪なインフラ

私にとっては新鮮な光景でも、爺ちゃんには笑えなかったのかもしれません。

 

 

けど、2017年のはホーチミンは大都会となっています。
若い世代がめちゃくちゃ多くて国の未来はひらけているのです。
若い奴らがいるって、いいことなんですよね。