エロ本の仕事が辛くて山陰地方へ逃亡した日

これまで、エロ本編集部にいたことを書いてきました。ちょっと勘違いされているようなんですが、別に武勇伝を語りたいわけではありません。「今となっては」面白かった思い出ですが、やっていた当時は辛くて辛くて仕方がなかったんです。その証拠に、私には20代後半の記憶があんまり無いんですよ。毎日忙しくて、毎日おマ◯コを見て、毎日射精して(それは自由だけど)、毎日飲んで、毎日出会い系で出会って撮影……そりゃあね、しんどくなりますよ。
正直、辛くて仕方がなかったですよ。
グラビア雑誌って、1色ページがとても苦手なんですよね。いわゆるモノクロの記事ページですね。昔のエロ本なんて、このモノクロの記事ページが醍醐味みたいなところがあったんですが、私が所属してたURECCOはこれを最も苦手としていました。今から考えると、ライターに書いてもらうって考え方が無いに等しかったし、1色を頼んでいたデザイナーもヘタクソで最悪でした。とにかくグラビア優先で、月の最後の最後のあまった2日で記事ページをやっつけるという感じでした。
でも、それじゃあイカンなあと思っていたので、ある時副編集長の三橋さんと後輩の島田に「グラビア進行終えたら、地方の温泉のストリップでも取材しませんか?」と提案しました。二人ともけっこう乗り気で「じゃ、大島編集長にそう言っとく」と三橋さん。かくして、この三人で温泉ストリップ取材に会社のハイエースで出かけたのでした。
まあしかし、地方と言ってもそんなに遠くまで行けるはずはありません。ハイエースで行ける温泉地といえば、せいぜい熱海くらいです。日程も2日だけです。今日行って帰ってきて記事を書いて、すぐデザイナーに出し、翌日あげてもらうという無茶苦茶なスケジュールです。とりあえず、西に向かって走りだしました。今みたいにスマホの社会じゃないです。ガラケーですから検索もままなりません。MacOS9.2のネットスケープで情報を探してからの出発と相成りました。
実はこの日、朝からとても楽しかったことを覚えています。
グラビアの撮影・編集・入校を全て終えてからの出発です。ふあ〜今月も何とか乗り切った感があり、ちょっとしたピクニック気分でした。あとは温泉地で湯に入り、ストリップを鑑賞するという楽しい仕事が残っているだけでした。ええ、そのはずだったんです。
ところが、ハイエースが小田原を越えた辺りで後輩の島田がビックリするような発言をしました。運転をしながら、です。
「三橋さん、岡本さん……遠くへ行きたい……」
なんだか書きながら涙が滲んできました。この時、島田がなぜこんなことを言ったのか、私には痛いほど分かります。この楽しい気分のまま、遠くへ行きたい、我々はそれほど疲弊していたんです。日々に疲れ切っていたんです。20代後半の記憶が無い私にも、この時のことはしっかりと覚えています。
そして、後部座席で手帳を見ていた三橋さんが言いました。この言葉にもさらに驚かされました。
「いいよ。熱海で降りなくて。まっすぐ行こう」
当時、ロングヘアーでキムタクよりイケメンだった副編集長・三橋さん。彼は手帳を眺めて「行ける」と判断したんでしょう。島田の提案を「イキ」にしました。
「三橋さん……………」
(そんなことして大丈夫なんですか?)助手席から後ろを振り返り、そう言おうとした私に、三橋さんは黙って頷きました。どういう意味なのかは今だに分かりませんが、「俺に任せろ」ということだったのかもしれません。
それから飯を食ったり、運転を変わったり、富士山を撮影したり、車内はワイワイと楽しい雰囲気のまま西へ西へと向かって行きました。
気付いたら、ハイエースは京都に入っていました。ここからは土地勘のある私が運転を変わりました。
「ようし、北へ行こうか」
三橋さんがおもむろに言います。私も島田も「北へ?」と問いかけました。
「うん、北。岡本くん、城崎温泉なんてどうよ?」
なるほど! と思いました。1日の限界で遠くへ行ける温泉地と言えば、城崎温泉があったか。あそこなら、いかがわしい施設もあるし取材には持ってこいです。私は「ラジャ!」と言って、日本海側へハンドルを切りました。
完全に日が暮れた頃、城崎に到着しました。またここからUターンして帰らなければなりませんが、3人も運転ができる男がいれば安心です。ノンストップで東京に戻ることが可能です。私はこの3人で関西まで来たことに満足しており、ちょっとしんどいけど「いい思い出になるな」と感じてさえいました。
「帰りたくない………!」
しかし、島田がいきなりまたこんなことを言い出したのです。「いや、もういい加減にしろ、島田」と言おうとした時、三橋さんがこう言いました。
「いいよ。泊まろう」
あれは、たぶん4月だったと思います。城崎の温泉街に桜が咲いていたんですよ。
東京からはるばるやって来たエロ本編集者にも春は平等にやってきていて、車窓から眺める城崎の夜桜は本当に綺麗だったんですよ。
そんな桜満開の刹那を見て島田は思わず心の声が出てしまった。「帰りたくない」。私も心の中では同じことを思っていましたが、素直な島田の発言に気持ちを揺すられました。
「おまえ……バカ……」
もう、私も島田も、三橋さんに全てを任せて、考えないようにしました。泊まるんです、この城崎に。3人は旅館の一室を借りて、疲れた身体を温泉で癒やし、運転があるから飲めなかったビールを飲み、ストリップを見に出かけたのでした。
「かぶりつきだよ! かぶりつきだよ!」
ストリップ小屋の客引きが我々を案内します。一人あたり2,000円でした。かぶりつきだって言うけれど、客席は2列しかありません。ステージと客席は同じくらいの面積なのです。怖いので後列に行こうとしたら「かぶりつきで見て!」と怒られました。
照明が暗くなると、シミーズ姿のおばさんが出てきました。島田と私が20代後半、三橋さんは30ちょっとだったと思います。そのおばさんは、どう見ても我々のお袋くらいの年齢に見えました。
しばらく、おばさんの無言のダンスを見せられます。
客席は我々3人だけです。怖いので3人肩を寄せあっておばさんのダンスを眺めていました。きっとおばさんは、この若者たちの緊張をほぐしてあげようと思ったのでしょう、
「怖くないわよ! 取って食やしないし!」
とでっかい声で言ったんですが、それが余計に怖くて、暗い小屋の中で3人はくっつきあって身の安全を確保していました。
おばさんのダンスはクライマックスとか全然なくて、ただ「あ、よいしょ」と同じような踊りを繰り返しているだけでした。で、おもむろにシミーズをペロンと下げ、おっぱいを出しました。意外に垂れて無くて綺麗なおっぱいだったと記憶しています。
「ちょと待ってな」
そう言い、おばさんはそでに引っ込みましたが、すぐにバイブレーターを手に持って再登場しました。もう、嫌な予感しかしません。
おばさんは、そででパンツも脱いでいました。
かぶりつきの私たちの前でしゃがみ、M字開脚をして来ました。そして1番端にいた島田にバイブを「ふん!」と言って渡したのです。
島田はバイブを持ったまま固まっていましたが、おばさんが股間を突き出して来るのでやっと意味が分かったようです。
「あわわ…挿れろということか……」
島田は恐る恐る、おばさんのヴァギナに巨大バイブレーターを挿入します。おばさんはそでに入った時にアイ・クリーム的なものをアソコに仕込んだらしく、バイブはするっと入っていきます。しかし、
「ちゃんとしっかり持って!」
とおばさんに叱られ、バイブを取り上げられました。おばさんはそのバイブを真ん中に座る三橋さんに「ふん!」と渡しました。三橋さんも頑張ってステージ上でM字開脚をしたおばさんにバイブを挿れたり出したりしました。
「まあ、イケメンねえ!」
おばさんは最後は私に「ふん!」とバイブを寄越してきます。無言でおばさんのアソコにバイブを挿れます。動かした方がいいのかと思い、出したり、挿れたりしました。
「手首の返しが悪いっ!」
なぜか私だけ技術的なことを怒られました。単なる嫌がらせですよね。三橋さんも島田もイケメンなので、私がオチみたいな扱いをされたのでした。
「どっから来たの? 東京? あら、アタシ埼玉」
遠く城崎温泉まで逃亡して、埼玉のおばちゃんのアソコにバイブを挿れた思い出でした。
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